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共同生活というものを、これまで生きてきてほとんどしてこなかった可乃子は、だれかが同じ空間に暮らしているという感覚を受け入れられない。
しかもその同居人は若い男子である。
(てへへっ、若い男子たってあたし産んでんだけどね)
そんなふうにふざけて心で言ってみたが、一向に心は晴れない。
自分が本当に産んだのかさえも、
狂って外れて転がった過去なだけに可乃子には確証がもてないほどだ。
ただ一つ自分の本能的な部分で、
どうしても健士を男として見れないというのが、唯一の結果証明か。
可乃子はコンビニまでの道をとぼとぼと歩いた。
バイトが終わったら不動産屋に行って、今日のうちに部屋を解約しよう。
そう思った。
(実際、家賃がなくなるんは、すごくうれしい。)
それは悩ましい事柄に混じって、わかりやすく得な部分だった。
(あの家に帰るんは嫌やし、
共同生活なんてどうすりゃいいのかわかんないけど、
月々の家賃支払いがなくなるんやったら
ちょっとくらい我慢のしがいもあるってもんちゃう?
まあ、一緒に住んでみてどうしてもだめやったら
そんとき考えたらいいんでない?)
可乃子はいつのまにか駆け出していた。
息を荒げながら、コンビニに飛び込むと、いつものようにキューちゃんののんきな笑い顔が見えた。
「キューちゃーん」
「なになに、どしたんですか」
「あたしの周りでいろんなことが起こってるねん。
ベルトコンベヤに乗っけられた荷物の気分」
「それってどんな気分なのか、なかなか理解不可能ですけど」
キューちゃんはいつもの冷静まじめな顔でそう言った。
「離れがたい~」
「誰とですか」
「キューちゃん、あんただよ」
「どしてどして?どういう意味?」
「あたしさ、ここのバイト辞めて、店やるんだよ。ご飯屋」
「ご飯屋?」
「そ」
「どうしても、って言われちゃってね」
「はあ」
「住むとこ三食付きなんで、手をうったってわけ」
正確に言えば全然そんなことないんだけど、
簡単に話せばそういうことにもなるんじゃね?
昔の古傷をあらためて披露するほど、悲しいかな、
キューちゃんとそこまで親しいわけでもない。
ここで関係を終わりにするのもちと惜しい気がする、
深めれば深まりそうな、友にしてありえる人のような気がする。
いままで三十二年生きてきて、
こんなふうに感じる人と出会えたことは一度もない。
されば、この関係ここで捨ててもよいのか。よいのかここで。
可乃子は迷うけれど、やっぱり踏み出せない。
自分から誰かの手を握りに行くというのは意外に難しいことなのだ。
「てことで、バイト、やめます」
「なんか、それって寂しいです」キューちゃんが唇をとがらせる。
「そう言ってくれると嬉しい、寂しい」
可乃子はそう言うと、逃げるようにバックルームに駆け込んだ。
少しだけ泣きそうになったから。