12.
まっちんが店先に立ち、仕事を始めると、信美は部屋の掃除にかかった。
自分の部屋、両親の部屋、まっちんの部屋と、順番に掃除機をかけていく。
その間にドラム式の洗濯機はまわり続け、バスタブにふきかけておいたクリーナーの泡が壁面をつたって垂れる。
今日も変わり映えしない一日だが、寺本家の洗濯物はなくなり、
健士の弁当作りもなくなった。
夕飯を届けに行くことも、これからはしないほうがいいのだろう。
信美はどこか寂しい気持ちと肩の力が抜けたような気持ちを同時に感じていた。
今朝、可乃子の淹れてくれたコーヒーはなかなか美味しかった。
あの子を連れてきたことはたぶん間違いではなかったのだろう。
てらちゃんのいなくなってしまったこの世界で、健士が産みの母親とふたたび暮らすことは正しい選択だと思う。
昔っから世話がやける子には違いなかったけれど、可乃子はけっして悪い人間ではない。
自分が深くかかわってきた彼ら。
寺本家の面々は今日も信美の頭の中を埋め尽くしている。
てらちゃんにおいてはもうその体は消えて、二度と顔を合わせて話すこともできないというのに、信美の心から離れることはない。
リビングに入ると、父親は新聞を読んでいて、母親はテレビを見ていた。
午前中まだ早いというのにゆったりとした時間が流れている。
「のぶちゃん、それ終わったらお茶しよう」母親が言う。
「はーい」そう答えて、今日のおやつはなんだろうと考えた。
あんこのおはぎが食べたかった。
おやつのことを考えると、脳の中枢が麻痺して、少しだけ寺本家の存在を薄めて行った。
信美が忙しく動き回るのを、母親は目で追っていた。
「のぶちゃんあんたもういくつなる?」
「えー?」リビングの向こう側。
廊下から信美の声が聞こえてくる。
どうやら母親の問いは聞こえなかったようだ。
「えーの。別になんもない」
そう言い返した母親の顔を新聞から目を上げた父親がちらりと見る。
そしてまた新聞に目を落とす。何事もなかったかのように。
廊下では信美がひとりごちていた。
「三十七」と。
自分は何も持ってはいない三十七歳。
ほしいものと言ったら、いままでずっとてらちゃんだったけれど、
それももう叶わない。
そう思ったとたん涙がこみあげてきた。
結局私は一人なんや。
健士をほんものの母親に返したら私にはいったいなにが残るというのだろう?この偽物の母親のふりした隣のお姉さんは、もうお役目ごめんなのだ。
邪魔したらだめ。邪魔したらあかん。
だけど私はこれからも生きて行かなくちゃならない。
本当にほしいもの、今から探しに行こう。
そうでもしなくちゃ、この涙はいつまでたってもひっこまない。