15.
(ぎっちりぎちぎち。
力加減がわからん。)
朝六時に起きた可乃子は、
こぶし大の飯粒をぎゅうぎゅうと力いっぱい握っていた。
おにぎりの中身はカウンターに置いてあった年代物の梅干しだ。
「のーりーのりのりのり、どこですかいな、海苔」
と歌うように言いながら、カウンターの台下冷蔵庫を覗き込む。
「あっかんなぁ、海苔、ない。おにぎりは梅干しと海苔が一番っしょ」
(それからあとはなに入れるんやっけ、卵焼きか。
あーもうめんどいな。それから、肉、か?
この豚肉、焼肉のたれで炒めたらえっか)
慣れない台所ほど使いにくいものはない。
なにせここに来てまだ日が浅い。
店でなにかしら料理を出さなくてはならないせいで、
厨房に立っている時間こそ長かったが、
文句を言いたいところはたくさんある。
すべてあてがいぶちで、当然のことながら可乃子の意向は反映されていない。
業務用のバカでかいガスコンロは炎が大きすぎる。
フライパンのかわりには、手首にきつい重い中華鍋。
自分が料理が嫌いかどうかすらわからない。
しかし生きていくためにこの店を営業しなくてはならないのだ。
可乃子は毎日毎日動画サイトにくぎ付けで、店の開店までの何時間も
試作を繰り返しているのだった。
ここへきて自分が自分でないように感じる。
あの、なにもかも別にどうでもよかった自分はどこへいったのか。
この懸命さはいったいどこからやってくるのだろう。
自分で自分が不思議だった。
(自分の好きなものしか作りたくないのに)
可乃子はひとりごちながら冷蔵庫の中を探る。
「にんにくとか、しょうがとか、ネギとか、なんかそういうん、
ほんま、ぜんっぜんないな」
深いため息とともに扉をばたんと閉めた。
(ハイクオリティ求められてへん。
ええって、適当で)
そう思いなおすと、豚肉を炒め始める。
ジュージューと香ばしい香りがたつ。
油が中華鍋の中でこってりぎらつき
煙にかわる。
「たらりーん」
可乃子はそう言いながら焼き肉のたれ中辛を鍋にそそぐ。
たれが煮詰まって少し焦げると、
もっと香ばしい香りがたった。
「んふーん。いい匂いじゃ」
可乃子は満足げに鼻を広げると
ひとりごちる。
大皿に肉を山盛りに移すと、
ほっと息をついた。
それにしても、
信美はどうしているのだろう。
まっちんと違ってまったく顔を見せない。
あの朝のコーヒーが最後だ。
自分に遠慮しているのか。
可乃子はそう思うが、かといって自分が悪いとは思わない。
(だって勝手にここに連れてこられたようなもんやし、あたしの意志は最初っから
超無視やん。
しっかし、こーへんかったらそれはそれで
気になるわ。
まっちんに後で聞いてみよ)
弁当箱におにぎり二個と卵焼き、豚焼き肉を入れると、可乃子はそれを見下ろした。
「ちゃいろぉ」
そうつぶやいたが
「ま、えっか」と蓋をする。
カウンターの端っこの引き出しから
ランチクロスらしきものを引っ張り出すと、
割りばしと一緒にくるりと巻いた。
その時、二階から足音がして健士が
下りてきた。
「おはよ」可乃子は声をかけたが、
うんともすんともつかない息のような返事が返ってくる。
もうTシャツの上に学ランを羽織っている。
ちらりと可乃子の方を見ると、無言で店から出て行こうとする。
「もう行くん?」
「ん」
「あの、これ、はい。」
可乃子は包んだばかりの弁当をもって小走りで健士に駆け寄った。
「ほら」健士の手に押し付ける。
すぐにくびすを返すと首をコリコリと
ならしながら裏の階段を昇って行った。
とりあえず朝のお役目は終わったと思った。