枝豆とカルピス 18

オリジナル小説

キヨラが近くまで来ているとライン。

むしゃくしゃした気持ちのまま、健士は出かけることにした。

腹はすいている。すいているが、可乃子と顔を合わせたくない。

外でキヨラとなにか食べるとしよう。

といっても財布の中には数百円しかない。

本当にバイトでもしなくちゃ経済状態はまずいことになっている。

可乃子とあんないさかいがあった手前、こずかいをくれというのも言いにくい。こりゃ勝手にバイトを探すしかないか。

キヨラに相談してみよう。

健士は一階へ降りると店のほうをのぞいたりしない。

いつものようにまっちんさんの声にまじり今日は他のお客の声もする。

少し気にはなるが、やっぱり可乃子と顔を合わせたくない。そのまま反対側の裏口から外へ出た。

外はいつのまにか初夏の夜。

ついこの前まで六時になると真っ暗だったのに、まだ空は薄水色。

隣の家の木蓮は唯一健士が目をつけている花。

まだ春の初めにはぷっくりとした乳白色の小鳥が枝に集ったように

美しく優雅だったのが、いつのまにかしもぶくれの黄緑色の若い葉を

風にそよがせている。

この木はいろんな姿になる。

一目、心にとどめればいろんな姿を見せてくれる。

高校男子だって感じることはあるのだ。

健士は言い訳のように思う。

少し年をとった人みたいな気がするから、キヨラには言わない。

言ったところでキヨラには解せない感情かもしれない。

まぁ、あいつは馬鹿にはしないと思うけどな。

そんな風にも思う。

「あー、健士こっちこっち」

高校の外だ。ヘアバンドをしていないからか、キヨラの広がったアフロまがいのパーマヘアが薄闇の中でふわふわと跳ねた。

健士は駆けだして、すぐにキヨラのとなりに立つ。

「腹減った」

息のような声で言うと「これ食いな」と

キヨラのカバンからコロッケパンが出てきた。

健士はキヨラをじっと見る。

「なんや、食えや」

「ええん」

「えーで」

歩きながらコロッケパンをかじると衣にしみたソースがめちゃくちゃうまい。隣ではキヨラがまだごそごそとカバンを探っている。

まだなにかくれるのか、あさましく健士はその手元を見つめていると

「へっへーい。ほれっ」

キヨラが一枚のチラシを健士の顔の前に差し出した。

「これ、これ出ましょ。これ出ましょ」

ハイテンションでそう言ってくる。

「ザ!!!商店街スタア誕生ぉ!」

「これかぁ」

健士は二年に一回、父親がまっちんと必ず

参加していた

この商店街の催しをもちろん知っていた。

父親たちが高校生の時に第一回が開催されてから、九回目になる。

参加バンドは毎年なかなか多く、

オーディションもある。

健士の父親とまっちんの組んでいたバンドは毎度合格を勝ち取って

ステージに上がっていた。

地元ではちょっとした有名バンドだった

から、歴代のファンも多い。

ステージを楽しみにしている同級生たちも

たくさんいた。

健士幼いころからステージの応援には必ず連れていかれていたのだ。

(親父を思い出すなぁ)

チラシを見た時最初に脳裏に浮かんだのは

それだった。

普段は無口でおとなしい父だったが、

ステージに上がると弾けるように輝いた。

(ぴか一のギターテク。

忘れられないあの歌声。

めちゃめちゃ俺、尊敬してた。

父さんめちゃめちゃかっこよかった。

いや、だから俺、やっぱ出れんわぁ。

ちょっと無理)

黙っている健士の顔を不思議そうに

のぞき込んだキヨラは

「ほれ、ここ見て」

と指さす。

「スタア誕生っぽいやろ、ここ、こーこ」

そこには賞金の文字が。

なんと、三十万円。

商店街振興委員会から出るらしい。

「さ、さ、三十万!」

健士は目を見開いた。

乗り越えろノスタルジー。

今なにが必要か、俺。

「俺はドラムでお前ギターな。

あとボーカルとベースとキーボード、

要るな」

「へ?なんでキヨラ、ドラムだけ?

歌わんの」

「歌わんよ」

「なんでやねん」

「なんでもよ。

俺よかもっとええボーカルおるっしょ。

女子がええと思うんやな。

お前の曲ってエモいからのぉ」

キヨラがじっと健士の目を見てくる。

(くっ、そらせねぇ)

キヨラはもう健士の心を見抜いている。

とびきり勘がいいのだ。

このままたたみかけて心を奪う算段だ。

「ベースはお前んとこの向かいのあの、

まっちんさん。

言っとったろう、ベース、最高うまいって」

「いやいやいや。まっちんさんはあかん」

「なして?」

「まっちんさんは、な、親父とずっとこれ、出てたわけ。だから」

「・・・かぁ」

「親父、もうおらんから」

「んー」

わかったようなわかっていないような返事をキヨラは繰り出した。

そりゃあそうだ。

まっちんとてらちゃんの関係を知らない

キヨラにわかるはずもない。

「んじゃ、康孝と三人でいつもどおり、

出ん?」

「お、出るべ」

「オーディションて、いつ?」

「二週間後って書いとるで」

「ほぉ」

熱心にチラシを覗き込むふりを続けている

健士の横顔を見つめて

キヨラがぽつりと言った。

「無理せんでもいいぜよ」

「なにがぁ」

「俺らのスリーピースじゃ受からんぜよ」

「そ、そんなことないやろ。

練習も今までずっとやってきたやろ。

お前の歌やって、俺はええと思うし」

「ふぅ、嘘はあかんぜよ。

お前の目は嘘をつかれへんのよ。

俺の歌聞いてる時のお前の目。

語っとる。

俺は歌に情感というものをのせられへんのよ。

歌というもんはうまく歌えばええというもんでもないんよ。

残念ながら、俺はドラムだけ!

のほうがええってこと」

「キヨラぁ」

「これはだれに言われたからでもない。

自分で決めたことやし。

でも俺はバンドが好きなんや。

みんなでジャムるの最高です。

だから、これ、出たいっす。」

キヨラはチラシをぱんぱんと指で弾いた。

「健士ぃ、俺ら、オーディション受けようや。

頼む。まっちんさんに頼んでくれ。

一緒にやってくれ。頼む」

両手を擦り合わせて頭を下げる。

「それに金も欲しい。

この賞金欲しいですやん」

手の間からいやらしくにやついて、

健士の方を上目遣いに見上げている。

「しゃーない」

もうあかん。

キヨラのしおらしさにほだされてしまった。

それに実際、ステージに立つって考えただけでワクワクする。

金だって、やっぱ欲しい!

「やる?」

「お」

「やるべし!」

「お」

そう健士が頷いたとたん、いやっほい!と

飛び跳ねたキヨラのこぶしが

肘にあたってびりびり痺れた。

「おまえー!!!!」

追っかけると逃げていく。

ぎゃははと笑いながら商店街を駆け抜けて

いく。

「行こ、お前の店、行こ。

まっちんさんに会いに行こ」

キヨラがずっとずっと先まで走って振り向くと大声でそう叫んだ。

人気のないアーケードにこだまみたいに声が響いて、つなぎ目にぽっかり空いた夜空に

すいっと溶けてった。

 「お料理 てらもと」の入り口を引くと、

おずおずと制服姿の二人組、

キヨラと健士は顔をつっこんだ。

店は意外と混んでいた。

カウンターの中にはいつのまにかまっちんが入り込み、生ビールをジョッキに注いでいる。

顔も見たことない女子が、厨房でせわしく動き回っている可乃子に客のオーダーを伝えている。

それに答える可乃子はとても楽しそうだ。

店の雰囲気があまりにも一体感を持っているために、

キヨラと健士は自分たちがどこに身をおけばいいのかわからず

店の隅にそのまま、突っ立っていた。

「高校男子、帰ってきたんか?」

その時カウンターの中から可乃子が声をかけてきた。

「ああ、なんか忙しそうやな」

健士は不愛想に答える。

さっきの今だ。仏頂面をすぐには崩せない。

そんな健士の気持ちなどお構いなしに、

「お前ちょっと着替えたら店手伝って」

とまっちんが言った。

「俺ぇ?」

「見てわからんか、忙しいんや。

キューちゃんにも手伝ってもらってん

ねんぞ、彼女、お客さんやねんで」

「キューちゃん?」

「あ、こんにちは、九谷美香です。」

お盆をもって、突き出しを客に運びながら、

見知らぬ女子がひょいと頭を下げた。

「かわい!」

すかさずキヨラが声を上げる。

「おい、お前ちょっと来て」

健士はキヨラを引っ張って店の外へ

避難する。

「今日は無理っぽい。めちゃ忙しそう」

「やな」

意外とすんなりとキヨラはあきらめた。

「また来るわ、あらためて」

「わりぃな」

「全然」

キヨラが店を出て行ってしまうと、

健士は二階の部屋に上がった。

乱暴にボタンを外すとスクールシャツを

脱ぎすてTシャツを頭からかぶった。

それからのしのしと音を立てて階段を降り、裏口から店に入った。

浮き立つ気持ちが抑えられない。

親父の店が満席だ。

「これ、運んでくれ、3番」

健士を見るなり、

まっちんがビールのなみなみとつがれた

ジョッキを渡してきた。

「あ、ああ、はい」

それを受け取ると言われたままに運ぶ。

「キューちゃん、もう大丈夫。ごめんな、

手伝わせて」

「そんなぁ、水臭いですよぉ」

キューちゃんが笑いながらそう言った。

(なんてかわいい人や)

その笑顔を見た途端、健士は心の中で素直に感嘆する。

(かわいすぎ)と心が繰り返す。

「まっちんもありがと。

もう健士が来てくれたから大丈夫や」

その言葉に一瞬抵抗しかかったまっちんも、

ビールを運ぶ健士の後姿と、

出来上がった料理をカウンターに出しながら

健士が戻るのを待つ可乃子の姿を交互に見た途端、力が抜けたように席に戻った。

まっちんとキューちゃんが一息つくと、

可乃子は彼らの前にお刺身の盛り合わせを

置いた。

「はい、これ、食べて。手伝ってくれた

お礼。」

「うわ、綺麗です」

「魚、さばいたん初めて。

もうYouTubeさまさまやわ」

それをのぞきこんだ健士も

「すげぇ」とつぶやいた。

「お前って器用なんやな」

「やってけそうやろ。あたしと一緒に店」

「へ?」

「素直に認めてみ」

「うるさい」

そう言い捨ててそっぽをむいた健士だったが、「すいませーん」テーブルから客の声がかかると

「はい」と可乃子と同時に返事した。

一瞬ぎょっとした顔をあげた健士も、

可乃子がにやりと笑って「行け」と手振りで言うとそそくさと客のもとへ向かう。

「まっちんさん、お疲れ様です」

キューちゃんがカルピスのグラスをひょいと持ち上げると、

まっちんもビールのグラスをちょいと持ち上げた。

「乾杯っす」

照れたようにそう言ってぐびりと一口飲んだけど、もう可乃子のことばかり見つめている。

その顔を横目でキューちゃんが見つめている。

「可乃子さん、鈍感だから」

つぶやく声にまっちんは「何?」と訊く。

「いえいえ。いえなんでもありません」

キューちゃんがくすくす笑うのを、

健士はちらちら見つめていたい。

見つめていたいけど、見ていることは内緒なのだ。

(かわいすぎ)

心の中でもう一度(かわいすぎ)と繰り返す。

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