キヨラは夜の商店街を一人歩いていた。
はらがぐーと鳴いたので、なにかないかと
カバンを探る。
けれどさっき健士にコロッケパンを
あげてしまったのだ。
カバンの中に教科書や筆記用具が入っていないのはいつものことだが、
今日は食べるものもなにも入っていない。
「グミくらいなかっちゃ?」
手をつっこんで底までごそごそやってみるが、やはり何もない。
大げさにため息をつくとキヨラは歩き始めた。
どうせうちに帰っても誰もいないのだ。
だから何か食べたかったら買うしかない。
キヨラは小学生のころから
ずっとそうしてきたのだ。
親がいないわけではない。
ただ家にはいつもいないだけ。
キヨラが学んできたことは、
金を切らさないことだ。
母の顔を見たら、金をもらっておく。
姉にも会ったらもらっておく。
金が無くなってどうしようもないときは、
姉の彼氏のところへ行く。
え?父さん?
それは初めからどこにもいない。
「可乃子さんのオムライスはうまかった。
一等賞やる」
キヨラはひとりごちた。
できたての料理を食べさせてもらうことなど
めったになかったから、そりゃ感動のうまさ
だった。
「健士はぜいたくじゃ」
キヨラはぶつぶつ言いながら歩き続けていた。
「罰が当たるぜよ、文句ばっか」
アーケードの切れ目まで来ると、
駅までの道は街灯も少なく店もない。
そのせいで夜は静かで暗い。
せっかくだからキヨラは自分の足音も消して
しまいたいと思った。
ポケットの中のair podsをごそごそ探った。
そいつを耳にぶっこんでいれば
別世界に行けるから大のお気に入りだった。
人通りの少ない道だから、
誰か歩いていれば当然気になる。
キヨラはまだ米粒ほどの大きさだった時から、向こう側からやってくる人影を目で
とらえていた。
その人影は二つ。
たぶん大きいのが男、小さいのが女。
くっついているのか少しだけ離れているのか
それはまだ定かではないけれど。
キヨラが進む分、
向こうもこちらに近づいてくる。
倍々で距離が縮んだ。
(大きいのが女やったんか)
キヨラは丸くて柔らかそうな女が近づいてくるのを見て、自分の発想のとぼしさを反省した。
小さな男はピンと背筋を伸ばして、
女よりも少し先を歩いていた。
すれ違う時に男が怪し気にキヨラの方を
一瞬見て、女のことを引き寄せた。
女はびっくりした顔をしていた。
(俺、なんもしないっすけど)
キヨラは鼻から息を吐いて男の目を見据えて
通り過ぎた。
見た目で誤解されるのには慣れているけどね。
信美は突然男が自分の二の腕を掴んで
引き寄せたので、びっくりするやら困るやら。
二の腕のトレーニングはまだなんよ、
と言い訳したい気分だった。
「す、すいません」男はそう言ったが、
いつまでも信美の二の腕を握ったままでいた。
信美の柔らかい二の腕が心地よかったのかも
しれない。
(私はもう若くもないし、
スタイルだって悪い。
毛穴落ちした肌やカラーで傷んだ髪。
そんなものひっくるめて、
会っていただいてすいません)
心の中で男に謝った。
てらちゃんや健士のように自分を
必要としてくれる人なんて、きっとこの世にはいないのだろう。
なのに自分はどうして婚活なんてしようと思ったのか
考えているうちに情けなくなってきた。
(見つからないよ、てらちゃんの代わり
なんて。そんなこと、知っている)
「す、すいません。手、
あの、離してください」
信美が言っても、男はまだそのままでいた。
(なんかちょっと怖いな)
「信美さん、あの、いいっすか?」
男の小さな体が急にぎゅっとくっついてきた。
「ひゃっ」
信美の柔らかい胴体に男が沈み込み、
男がはぁと息をつくと信美の背中に
虫唾が走った。
「おい、お前、やめろ」
ぶらぶらと引き返してきたキヨラが小さな男を信美から引きはがした。
「あんた、キモがられてるよぉ」
「なな、な、なんや、お前」
信美は男が体から離れると、
ブルブルっと身震いして駆け出した。
「ほらな、逃げてったで」
キヨラは信美の後姿を見ると笑いながら
言った。
男は文句を言いたげにキヨラの金髪が
夜風にふわふわ踊るのを見上げていたが、
「なんや、文句あるんか」
とキヨラがすごむと、顔を歪めて走って
逃げた。
それはものすごく速くて、
キヨラは追いかけても絶対に捕まえられないと思った。
(まあ追いかけへんけどな)
その後キヨラは外界の音をシャットダウン
する。
音量を上げて、自分の世界に入っていく。
(どうでもいいんだどうでもいいんだって
この歌詞、すごく好きなんや)
駅まで行って、健士にラインして、
店が落ち着いてるなんて言ったら、
俺もう一回戻っちゃうよ!
駅に着いたらラインしよ。
キヨラはそう考えるとウキウキしてきた。
一日一善、今、女子救ったし、いい気分。めっちゃいい気分。