「おっはよー健士、ほれ、弁当出来てるで」
可乃子はその日も朝からハイテンションで、
健士の手に弁当を強引に押し付けた。
バンドを一緒にやると決めた夜、
可乃子は自分に受け入れられたと勘違いしたのではないだろうかと、
健士は思った。
自分の中ではまだ彼女は赤の他人同然だったし、一緒にバンドをするというだけで
母と認めるということにはならない。
健士は、深夜まで店を開けているのに
朝早く起きて弁当を作る可乃子の気持ちを
わざわざへし折ることもないかと、
この頃は黙って弁当を受け取る。
そして可乃子は、その弁当がキヨラのパンと交換されているということを知るはずもない。
家に戻ると、健士は毎日自分で弁当箱を洗うのだが、不思議なことに最近は心が痛むのを
感じる。
自分が可乃子の弁当を口にする日もそう遠くはないような気さえしてくるのだった。
めざましい料理の腕の進歩。
可乃子はといえば、料理の才能を開花させた。
言葉通り二人三脚で「お料理 てらもと」
が動き始めた。
「枝豆と、あ、俺、今日はカルピスで〜」
仕事を終えたまっちんがカウンターに腰を下ろす。
「何や。珍しいなぁ、まっちん」
「いつも美味しそうに、飲んでるやろ、お前、俺もたまには真似してみよかな、と」
「私は、生、お願いします」
信美もあれから毎日のように顔を出す。
どこかふっきれたようなほがらかさで。
(心配いらんかな)
可乃子は満面の笑みで迎える。
(浅野さんがいたら大丈夫)
昔、信美のことがにくらしいのに、
お守りのようにこの言葉を唱えていたことを
思い出す。
そして今も信美の顔を見ると安心する。
ほんとうに勝手なものだ。
ジョッキを両手に、健士が厨房から出てくる。
「はい、浅野さん、どーぞ」
「お。けっこう板についてるやん」
「そろそろ一か月なるからな」
健士は褒められて照れくさそうに笑った。
「健士ぃ。まいどぉ」
引き戸が開いて、キヨラがやってくる。
軽いぺこぺこのリュックを椅子に置くと、
「なんか食わせてけろ、可乃子ちん」と言う。
可乃子はカウンターの中で頷いている。
その顔を見たら安心したようにキヨラはふうと息をつく。
それからドラムのスティックをリュックから取り出すと、
自分の太ももをぱちぱちと柔らかくたたいてリズムをとった。
(他にもお客がいるからな。そういうとこ、キヨラ、常識的)と健士は思う。
「明日っすね」
「やね」
キヨラのつぶやきに信美が背筋を正して答えた。
「オーディション、何時からだっけ?」
可乃子が訊ねた。
「十時十五分。エントリーナンバー8番」
まっちんが答える。
「今日、閉店したらちょっとやっとく?練習」
信美の言葉に全員頷く。
「そうこなくっちゃ!俺、もうスタジオおさえてきたもんね」
キヨラが嬉しそうにバチバチ自分の太ももを叩いた。
痛みに顔をしかめるキヨラの前に、可乃子はとろとろ玉子丼を置いた。
「ふぉぉ」
たちまちキヨラは笑顔になって、いただきますとほおばった。